不完全でパーフェクト

魔女 BL二次創作とハロプロ

7. 『すべて、至るところにある』

シアター・イメージフォーラム(渋谷)にて鑑賞。不思議な心地で映画館を出て、その翌日にも映画館へ足を運んで再び観た。誰かに薦めたいと強く思ったのだがあらすじをどう説明して良いのか、自分の感想をどう端的に表せば良いのか、一週間考えても二週間考えても分からない。こうして考え続けられる映画が「良い映画」だと個人的に思っている。そんなわけでこうして文章にするにも時間がかかってしまった。

物語の舞台はバルカン半島。そもそもバルカン半島がどこにあるのかもよく分からずに観ていた(映画館を出てすぐに検索した)。そのうち宇宙船のような奇天烈な建造物が出てきて、この星にこんなものが建っていることを初めて知った。スポメニックという名称も初めて聞いた。旧ユーゴスラビアの巨大建造物を指す言葉だが、何だか変な響きだ。一人きりで異国を旅する時の、むきだしの孤独を思い起こさせる。

 

世界的なパンデミックと戦争で生活が一変してしまったある日、映画監督のジェイは姿を消してしまう。以前旅先のバルカン半島で出会ったエヴァにメッセージを残して。エヴァは再びバルカンへと渡りジェイの痕跡を追う……という物語。

ジェイはどこにも属さない一方どこにでも誰にでも入り込んでいく不思議な人間で、まるでスポメニックに乗ってやってきた(そして飛び去っていった)宇宙人のようにも思える。顔を合わせる人にニックと呼ばれて否定するが、彼が本当にニックではないのか、ニックを名乗っていた過去と決別したのかは明かされない。(おそらく)主人公であるエヴァ人間性や感情は、実はそれほど明確には描かれていない。私たちはエヴァの眼を通して見続ける。ジェイという人間を、バルカンの人々の生活を、多種多様で美しいスポメニックを。

時間軸がばらばらと散り、物語の筋を追うのが少しずつ難しくなり、途中でその努力を全て放棄して流れに身を委ねることにした。作品は淡々と流れる。ジェイとエヴァの対話、バルカンの人々が語る戦争の生々しい記憶、人と人が繋がっては離れる孤独と空虚、完成した映画が誰かに届く瞬間、波に揺られながら一つ一つのシーンを通り過ぎる。手を伸ばして掬い上げてまじまじと見つめたり、少し遠いところからぼんやり見たりする。自分とスクリーンの距離は変わらないのに、自分と映画との距離は近づいたり離れたりする。

ジェイは消えてしまったのに、会うことはかなわないのに、衝撃も寂しさも喪失も感じなかった。なぜか安心すら覚えた。ジェイが確かにバルカンにいたこと、人々が戦火を経験してなおバルカンに生きていること、私たちがパンデミックを生きたこと、遠い国に生きる人が自分と同じような孤独を抱えていること、安らぎを守ることが時にはひどく難しいこと、どのように生きたとしても決して否定されないこと、全てが揺るがない真実として映し出されている。それで十分なのかもしれないし、それ以上の肯定は存在しえないのかもしれない。

 

コロナ禍における各国の雰囲気の差がさりげなく描かれており、記録映画としての側面も持ち合わせている。日本ではみながマスクを着用して街を行き交う一方、バルカンではパンデミックが至っていないのかと思うほど誰もマスクをせず談笑し、海外からの旅人を警戒することもない。コロナ禍での葛藤に苦しむジェイと、バルカンの人々の自由な振る舞いの差も心に残る。コロナ禍とは何だったのか、一人ひとりに何を与え何を残したのか、自分は一体どう変わったのか、鑑賞後に繰り返し考えた。

 

映画自体も素晴らしいがパンフレットがとても良かったので鑑賞後にぜひ読んでほしい。撮影の様子を追った「撮影日誌」なるページがあり、いかにコンパクトに撮影が行われたか、いかにその地の人や景色との出会いやインスピレーションを大切に撮られたか、いかに即興での芝居が用いられていたかがよく分かる。リム・カーワイ監督の自称する「シネマドリフター(映画流れ者)」がよく表れているスケジュールと手法だと思わせられ、また多くの突発的かつ断片的な要素をまとめ上げる手腕に驚いた。エヴァ役のアデラ・ソーさん、ジェイ役の尚玄さんがそれぞれバックパッカーとしての経験を活かしていて作品の雰囲気を作り上げているということも知った。鼎談の中で監督が尚玄さんを「無国籍な存在感」があると評しているのも印象的だった。

 

この映画に興味を持ったきっかけはリム・カーワイ監督のSNSの投稿だった。たまたま誰かのリポストを見たのか、おすすめに表示されたのかは覚えていない。当日の夜の上映回に予約が入っていないという切実な内容で、監督みずからこのような発信をする姿は珍しいな、と思い興味本位で予約した。結果として素晴らしい作品を知ることができて嬉しいし、あの投稿を目にしなければ一生出会えなかったと思うと恐ろしくなる。映画は一期一会、人生は一期一会。結局その回は私以外にも観客が何人かいて勝手に安堵した。たまたま映画館の前を通りかかったという海外からの旅行客の方に話しかけられ一緒に鑑賞することになったのも面白い経験だった。出会いも孤独も、私も誰かも、記憶も忘却も、すべて、至るところにある。