不完全でパーフェクト

魔女 BL二次創作とハロプロ

8. 2024年イスラーム映画祭9『辛口ソースのハンス一丁』『私が女になった日』『ファルハ』『アユニ/私の目、愛しい人』『戦禍の下で』

 

2024年のイスラーム映画祭9 東京会場(渋谷ユーロスペース)で鑑賞した5作品の感想。

映画祭公式サイト http://islamicff.com

 

『辛口ソースのハンス一丁』(2013 ドイツ)

イスラーム映画祭でドイツ映画?と不思議に思い鑑賞を決めた作品。トルコ系移民二世の主人公がトルコとドイツの価値観の狭間で揺れながらも結婚相手を探す話。コメディタッチで観やすいが、体面を気にして娘の結婚にあれこれ口出ししたりどんな事情よりも家族を優先することに執着する親世代に腹が立ち「何だこの父親は!?」と悶々としながら鑑賞していた。自分と子供を切り離して考えるどころか所有物だと信じ込んでいる親、あまりにも嫌すぎる。作中の台詞にもあったが、家族と個人の幸せが両立しない価値観に終始息苦しさを覚えた。鑑賞後も作中の親の言動を思い返しては苛ついていたのだが、ある時突然「あの父親も家父長制の枠組みに生きているのだからあの振る舞いは仕方ない」と思うようになった。自身の面目が潰れることはすなわち家の名や家族が貶められ危険に晒されることだ。結婚適齢期とされる年齢を過ぎた娘がいることも、先に下の娘を結婚させることも、家父長制社会に生きる父親にとっては危険なのだろう。共感できる点はないが異文化を感じられて面白かったな〜と軽い気持ちで上映後のトークセッションを聞いていたら「日本でも家族あるある」「普遍的なテーマ」的な言及があり、そうなんだ……?と自分の家庭環境とのギャップに驚いた。現在ドイツの人口の約3割近くが移民ルーツの人々で、最も多いのがトルコ系なのだと初めて知った。移民二世、三世が直面するアイデンティティの悩みは数知れず存在すると想像するが、本作は「恋愛」「結婚」にフォーカスした構成が非常に分かりやすく、だからこそそれらのテーマに「家族」が深く関わる価値観もより強調されていたように思う。

 

『私が女になった日』(2000 イラン)

三人の女性のある一日を描いたオムニバス形式の作品。キシュ島というリゾート地が舞台で、海の美しいきらめきが印象的。チャードル(全身を覆う黒布)を身につける年齢だからもう男の子と遊んではいけないと言われる女の子ハッワの話がかわいくも切ない。魚のおもちゃとスカーフを交換するエピソードが好き。自転車レースに出場するアフーを夫が馬で追いかける話は、途中までアフーの妄想というか内面の表現だと思っていたがそうではなかった。馬の操作がとても上手くて見応えがあった。イスラーム圏の作品で馬を乗り回す登場人物にはあまり会ったことがないかもしれない。イスラーム圏の女性たちの自転車レースという舞台設定が新鮮だったし、いやスポーツくらいするよな……なぜそんな当たり前のことを新鮮だと捉えるんだ……?と自分の認識を不思議に思った。最後の老女の話は眠ってしまいほぼ観られていない……夢のように荷物もりもりの船がただよっている姿だけ覚えています。

 

『ファルハ』(2021 ヨルダン、スウェーデンサウジアラビア

今回の映画祭で一番観たかった作品。パレスチナで発生した「ナクバ」(アラビア語で「大厄災」の意。1948年イスラエル建国にともなうパレスチナ社会の破壊を指す)が題材。パレスチナの美しい自然と人々のささやかな暮らしが一変する様子が少女の視点から描かれる。学ぶために街へ行きたいと願うファルハと、娘の安全のために反対するものの熟慮の末に願いを聞き届けようとする父の愛のあるやりとりや、友人との固い結びつきに胸が温かくなった直後、家族、友人、夢や希望、その全てを暴力によって突然奪い取られる展開は目を逸らしたくなるほどつらい。ファルハが家族に守られる「子供」から一人きりで歩いていく「大人」へと移り変わる姿には涙が出た。このような経験で「大人」にならざるを得なかった人が一体どれほどいたのだろうか。一家を皆殺しにした後、赤ちゃんを殺すよう命じられた軍人がとうとう実行できずに赤ちゃんを置き去りにするエピソードがあり、破壊や略奪や殺戮を繰り返している軍人一人一人にも感情があるという当たり前の事実を思い起こした。上映後のトークセッションには岡真理さんが登場し、ガザの現状について解説をしてくださった。ジェノサイドを生き延びたとしてもこれほど破壊されたガザで再び生活を営み文化を継承することは非常に難しいこと、街や命が奪われることと同時に民族の記憶そのものが破壊されていることを知った。ホロコーストを扱う作品は数えきれないほどあるがナクバを扱う作品は圧倒的に少ないという事実は、欧米諸国がパレスチナから目を背けようとしている証拠でもある。

 

『アユニ/私の目、愛しい人』(2020 シリア、イギリス)

シリアといえばアサド独裁政権、という薄い知識しか持ち合わせておらず、政権下での人道犯罪の多さや強制失踪という問題に初めて触れた。突然連行され、拷問をはじめ非人道的な扱いを受け、殺害されたり消息が分からないままの人が10万人以上いるという異常事態が続いている。途方もない数字に感覚が麻痺してしまうが、失踪前の二人の実際の映像を観ていると「誰かの大切でかけがえのない人が10万人以上犯罪に巻き込まれている」という現実がますます重くのしかかってくる。トークセッションは軍事ジャーナリストの黒井文太郎さん。シリアをめぐる年表やご自身の撮影した写真をもとに周辺国との関わりも含めて解説してくださった。最後に報道におけるナラティブの問題(=誰が語るか)について触れてくださったのが印象深い。作中にも銃よりカメラを持つ方が危ないという言葉があった。テレビや新聞に限らず、誰でも発信できる時代だからこそSNSでのあらゆる情報操作が容易になっている。受け取る側の分別、情報リテラシー、ナラティブの見極めが時代を作り命を守ることに直結すると感じた。

 

『戦禍の下で』(2007 フランス、レバノン、イギリス)

2006年のイスラエルによる第二次レバノン侵攻後すぐに撮影されたという作品。レバノン南部の凄惨な様子が繰り返し映し出され、また数人を除く出演者はエキストラ(現地住民など)であることから、ドキュメンタリーや記録映像としての側面も持ち合わせている。戦禍に巻き込まれた幼い息子を探す主人公ゼイナ、彼女の事情を知らないまま雇われるトニー、二人がそれぞれ異なる苦しみに翻弄される様子を目の当たりにし、戦争とはすべての人が種類は違えどみな等しく地獄にいることなのだと思った。途中で激しく取り乱したゼイナが、ラストシーンでは何を思っているのか判然としない表情を浮かべているのが余計に悲しく、こちらも座席で脱力してしまった。

 

毎年楽しみにしている映画祭ですが、今年は「今こそ観なければならない」と思い参加しました。円安で買い付けをはじめ各種準備が大変な中、開催していただいたことに心から感謝しています。一映画ファンとして、社会の一構成員として、微力だからと投げ出すことはせず、関心を持ち続けていきたいと改めて思いました。